2006年6月18日 (日)

石原慎太郎論

「石原慎太郎というバイオレンス」からp120

1968年江藤淳との対談

石原「しかしヒトラーみたいに、自分と一緒に民族を破滅させた人間もいたからね」

江藤「君はヒトラーをどう思っている?」

石原「ぼくは、ある意味評価する」

江藤「何を評価する?」

石原「つまり、彼のものの考え方…彼のような理念が正義であったか悪であったかではなしに、あれは一つの啓蒙型の政治家…ぼくは政治というものは常に啓蒙型と官僚型に分かれるが、あれは啓蒙型の最たるものだね。いわゆる西郷型の政治家というものが、ときとところを得ればセルフィッシュな理念の実現が政治の中でできることを明かした人間だ」

石原という人間を表した言葉である。理念?物を深く考えず、勢いに任せて書く人間。

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2006年6月 9日 (金)

「日本という国」小熊英二著から

先の戦争での戦死者:

日本310万人、朝鮮人20万人(韓国政府は30万人主張)そして日本国内で強制労働されていた朝鮮人230万人、

朝鮮人被爆者ヒロシマ3万人、長崎1万人。

台湾人死亡者3万人

日本による被侵略国、中国1千万人(中国政府発表2千万人)、インドネシア死亡者200万人(インドネシア政府発表400万人)、ベトナム死亡者200万人、ミャンマー5万人、

フィリピン死亡者100万人、マレーシア死亡者5万人、シンガポール死亡者8万人、

連合国捕虜死亡者15万人、

シンガポールでは、華僑が「反日分子」として虐殺された。

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2006年6月 4日 (日)

最後のロマンティーク

伊藤勝彦氏著の「最後のロマンティーク 三島由紀夫」を読んでみた。

寡聞にして、この作家が三島由紀夫関係者とも、哲学者とも知らない。この書を読む限り、雑文家よくてエッセイストぐらいにしか感じられない。実際この書も、徒然なるヶままに書き散らした感が否めない。

一部を抜書きしてみる。対話部分。

伊藤「三島さんは結局思想家ではありませんね。本質的にはやはり詩人です。(中略)

だけれども、三島さんは限定付きでは、思想家であると思うんですよ。それはなにかと言うと、否定の激しさということですね。思想のの一つ一つの面として、非常に厳しい否定が必要である。そういう点では、日本の思想家は他人の言葉を借りてしか否定が出来ない。それに対して、自分の言葉で否定する。そういう意味では、僕は、否定の面で三島さんは立派に思想家だろうと思うんですよ。

三島さんの場合、肉体と精神、思想と芸術、否定面と肯定面が、別次元を形作っていあますが、哲学の場合はそうはいかない。否定性の極限において、肯定に転じ、マイナスがプラスに転化する一瞬を定着化させなければならない。思想においては、たんなるネガティヴテート(否定性)に安住することは許されないのです。決して究極的には与えられない全体性の肯定を否定の極限において求めなければならない」

三島「それはあたかも宗教と芸術の関係に似ていると思うんですよ。フランソワ・モーリャックが小説を書くときは、彼はカトリックだけれども、決してカトリックのお説教を書かない。つまりもうちょっとで、恩寵が現れる、もう一行書けば、神が現れると言う所でやめるでしょう。それで、テレーズ・デケイルゥが最後に、夫を毒殺した後、パリのキャフェに出てきて、一人で煙草を燻らしている。あれはあのどん底からもう一頁書けば、あそこに神が出てきて、恩寵が降り落ちてこなければならないのです。そこへ人間を連れて行くのが芸術であると言うことを、モーリャックは知っているのです。

僕の場合でもそうですね。つまりは、芸術はネガティヴであっていいんであって、それを積極性、肯定性に転化するのは芸術の中にはないのだ。だから転化したら嘘になっちゃう。絶対に転化する寸前でやめておくということですね。(中略)

伊藤「ハイデガーが、未来の哲学は最早学問ではない。詩だ。なんていうことを言いますね。だから今非常に哲学と詩は近づいてきているわけです」

三島「そういですね。しかし、世界否定によって世界を包括できない。ということは詰り人間にとって、全体性が許されていないと言うことになるのだな。(中略)

全体の円みたいな、そういう完全な全体性というものは、どうしてとらえることができないのだろう。人間精神はどうなっているんだろう。知性は・・・」

伊藤「だから、神になりえないということ」

三島「つまり、自分の似姿しかとらえられないということ」

伊藤「そうですね(中略)」

三島「男でも女でもヘルムアフロディトゥス(両性具有人間)なんか発明されたのは、あれはヘルムアフロディトゥスにならなければ解らない感覚で、絶対個地位から見たらその感覚になりようがない。とにかくあらゆる人間は男か女であり、だからヘルムアフロディトゥスというものは、一つの象徴的な世界として、誰にも体験できない世界だよね。(中略)つまり、絶対体験不可能な世界、それがネガティヴに捉えられていた世界の全体像だと思うのですよ。(中略)」

伊藤「三島さんの場合ぼくが非常に面白いとおもうのは、いつでも二重奏さがあるとおもうのですね。一方において共同体的な緊密な秩序のなかに自己を縛りつけ、全体の中に自己を溶け込ませてエクスタシーを味わい尽くしたいと言うひりつくような感覚があるながら、一方では、何も縛られていない自由精神を確保したいという願望もある。そういう相反するのがいつも三島さんの中にあるんじゃないですか?」

三島「ええ、ありますね。かだ醒めているだけではつまらないしね。それから、もし没入するんだったら、その瞬間、死ななければ嘘でしょう。でも作家というものは、何時の世においても、その作品の中で、死ぬことはない」

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